太平洋戦時中でも貫かれた日本の武士道!

武士道は生きている。

武士道は生きている。

終戦記念日

間もなくお盆です、それは終戦記念日も意味しているわけで、先の世界二次大戦には大変な犠牲を払いました。

日本は戦争末期、自己犠牲で祖国を守ろうとした若者が、特攻など命を落とした人が、沢山いたことは事実です。

社会貢献は、多少の犠牲を糧としています。
しかしこの場合は究極ですよね。
死に場所を求めた、当時の若者にとっては無駄死によりも、祖国の為、家族の為に死ねる機会を逆に歓迎した人もいたかもしれません。

武士道を貫いた方もいました

こんな狂った戦時下に遭って、日本の武士道を貫いた方もおいででした。

最近になって、当時助けられた一人の元イギリス大使館員サム・フォール証言によって工藤俊作らの戦争中の行動が明らかになりまいた。

それは工藤が戦後病気で亡くなってから、サム・フォールらから聞かせてられ明らかになった事実ですのでほとんど知られていませんでした。

その後、工藤俊作さんは雷から違う艦の船長を命じられたが、間もなく雷は撃沈され、元の部下が全員亡くなってしまったことなどが、原因で自分だけ生き残った事を悔いて、雷の話題は封印していたのかもしれません。

本人は話をしなかったことと、事情を知る当時の部下の殆どが戦死してしまった事から、知っている人はほとんどいなかったようです。

サム・フォールの来日で家族でさえ初めて聞いたそうですが、最近はTVなどで紹介され、本など出版されたので、少しは有名になってきました。

戦時中の出来事

彼(工藤俊作)は第二次大戦中小さな駆逐艦「雷」の船長だったそうです。
大戦中の1942年ジャワ島付近で激しい戦闘がありました。

そこでの戦闘は日本軍が勝利し、敵がわのイギリス船舶を失い海軍はで大量の敵側のイギリス人が漂流してしまったそうです。
その数400人以上

そして、たまたま付近を通りかかった工藤船長の駆逐艦 雷がその敵兵であるイギリス兵を全員救助したのです。
雷の乗組員200人、救助したイギリス人は400人を超えていたのだそうです。

なぜそのような事をしたの?

何故彼は、そのような事をしたのか。

それは、彼の武士道精神があったからのです。
たとえ、敵兵でも困っていれば助けてやる、正々堂々と戦う。
それが、工藤俊作の武士道だったのではないでしょうか。

私は戦争中でも日本人は武士道精神で、フェアの戦いをしていたと信じています。
その事で、少しも卑下することなく、私たちは立派で未来の日本と日本人の為に戦って命を落とした先祖のお蔭で今があるのです。

それは、多くの日本や世界の若者の命の犠牲で、現在の平和と繁栄を謳歌出来ていると言う事、私たちは忘れていはなりません。

私達が自分で勝ち取った繁栄ではなく、偶々生まれた時期が良かっただけにすぎないのです。
それを常に意識していなさいとは言いませんが、この時期だけでも思い出して戦争で亡くなった御霊に感謝しましょう。

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武士道

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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