写真の恩人を思い出しています。

cimg1176私が風景写真を始めたのが2,000年になります。
それから、多くの先輩に出会い、影響され少しずつ上達してきたのかなと思います。

中でも大きく影響された先輩に篠田貞夫さんって人がいました。
長岡の方で、松之山にも足しげく通って来ておいででした。

私が元の師匠とトラブルになって、離脱して個人で活動してきたときに出会った方です。
二人で色々な所を撮影に行きました。
県内の違った場所も撮影に連れて行ってもらいました。

彼の撮影した写真も沢山見せてもらいました。
勿論当時彼は全国的に有名なアマチュアカメラマンでした。
その彼がよく口にする言葉が、どう表現するかが大事だと言っていました。

綺麗な風景を写真に収めることは容易かもしれないけれど、そこを一歩進めて、どう表現するか工夫して撮影することの大事さを教えてもらいました。

そして、運命の日2004年の7月31日、彼と電話で色々話をしました。

月刊フォトコンから、推薦の入賞通知が来て、まだ4カ月ほど残しているけど、年度賞確定したなどなど、うれしい報告やもろもろ30分くらい電話で話をしました。

結果的にこれが彼と話をした最後になりました。
彼の予定は、写友の橋爪さんや他のメンバーが来るので、明日は枝折峠で朝を迎え、昼は荒沢岳の麓の沢で、雪洞の中から写真を撮るのだと言っていました。

来ないかと、誘われましたが、僕は日曜にイベントがあり、その準備で動けなくて、次回誘ってもらうように言いました。

まさか、その決断が運命を大きく分けるなんて、思いもよりませんでした。
翌日、棚田のハーブ園でイベントをやっていると、静岡の写友から電話が来ました。
どうも、篠田さんが遭難したらしい。
Yahoo!ニュースで出ているという話でした。
慌てて、現地に行って見ましたが、場所も特定できず、小出の知り合いの家で情報を収集してみたら、状況はかなり厳しいとの事。

潰れた雪洞は雪が固く、チェンソーで切断して掘り起こしているとの事でした。

翌日の夕方には変わり果てた、篠田さんも発見されましたが、この時のショックは計り知れません。

本当に悲しかった。
肉親が亡くなった気がしました。
それから、時間がたち、その悲しさは少しも和らぐことはありませんが、僕の肉体に吸収され、僕の一部になっていくような気がしました。

あれから、もう10年以上も経ちましたが、当時の事は鮮明に記憶に残っています。
僕は彼の意志を次いで、写真文化に貢献できているんだろうか?
体たらくな自分に活を入れる時が来ているような気がします。

今でも時々彼の事を思い出して、冥福をお祈りしてます。
いつか「俺頑張っていると、墓前に報告したいですね。」

タグ:
過去の悲しい思い出

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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