2016.3.11(金)
あれから5年、報道されなかった地震の記憶 後編
この経験は、誰にもありうることです。
突然襲ってくる巨大地震。
その瞬間、便利に使えていた電機はストップし、携帯電話やスマホも電話は普通になります。
あの時は幸いにも、携帯メールはしばらく使えました。
それも、次第に普通になってきましたが、昼間何かあった時に家族に連絡を取る方法を決めていたほうが良いかもしれませんね。
それから、しばらくして僕がナステビュウ湯の山に赴任して1カ月もしないうちに、中越沖震災を経験しました。
しかし、寝ている最中に経験する大地震は初めてでした。
寝ているので、何もできません。
暫くすると、隣で寝ていた女房も目を覚まし、なに何ナニと驚いていたようですが、地震だよ!と教えてやりました。
じっとしていれば、すぐに収まると思っていたのですが、その地震の揺れは意外に強く長いものでした。
寝ていた別途も揺れで動いています。
寝ているので、半分拘束されているようなものですが、天井から何か落ちてこないか不安でした。
薄っすら暗がりで天井に目をやると、梁や柱がゆがんでいるのが分かりまいた。
その揺れは、長く永遠に続くと思われるほど続き、恐怖にすくんだのを今でも鮮明に覚えています。
ようやく地震が収まりましたが、暫くすると余震がやってきました。
それは、本震より小さいのはわかっていたので、少し余裕で迎えることができました。
やがて、停電でしたが、懐中電灯で家の中を見てみて驚きました。
私たちは2Fに寝ていたんです。
1Fに降りてみると、テレビは棚から落下していたし、棚は全部戸が開いて、食器も落ちて割れているし・・・・・
ほんとにひどい事になっていました。
しかし停電であたりも暗いし、明るくなるまで
何も出来ません。
女房は見なかった事にしようと言って、また寝ちゃいました(笑)
それから、少し明るくなってきたので、会社に行ってみましたが、それも大変な事になっていました。
これが、僕の震災体験です。
5年も経っていますが、当時の恐怖は今でも鮮明に思い出すことが出います。
おそらく、東日本大震災で生死の恐怖を味わったり、家族を津波でなくされた方は、もっと鮮明な記憶があり、忘れることができないほどのショックを今でも抱えているんだろうと思います。
そういった意味ではあ、あれから5年も経ちますが、少しも風化していないと思うのです。
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今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。
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