2015.10.7(水)
ダウン症を考える。
昨日、携帯電話のショップに行ってスマホを変えてきました。
その話は、またいずれ書くつもりですが・・・
そこで待っていると、元気な子供が騒いでいた。
でも、顔をちらっと見ると、その子の顔はある病気の特性が現れていたんですよ。
そうです、ダウン症なんですね。
ダウン症の人って、驚くほど顔が似ているじゃないですか。
共通した、愛嬌のある顔なんですよね。
以前、石田純一さんと東尾理子さんご夫婦の第一子がダウン症の可能性があるとの血液検査の結果をが出て、医師に精密検査を勧められたそうですよね。
でもご夫婦は話し合って、自分たちの子供がダウン症でも、生む決意をしたという事は報道で多くの方が知っていますよね。
僕たち夫婦は、子供が居なく、こんな状況になったらどうだろう?
もし、臨んだ子供がようやく授かった。女房も高齢で、次はどうだか分らない状況だったら?
ダウン症でも日常生活は普通に生活できるそうです。
でも、結婚して家庭を持って自立する方はそう多くもないかもしまれません。
妊娠中、その子がダウン症と分れば半分以上の夫婦は中絶を選択すると思います。
その子が悪いわけではないし、両親に瑕疵がある訳でなありません。
何にもしないけど、運が悪いだけでそうなるのだと思います。
ダウン症だと分って生む方も、おいでだと思いますが、苦悩はあるでしょう。
では、中絶という方法を選択したからと言って、問題は解決する訳ではないです。
多分、一生自分たちの都合で自分たちの一部である、生を受けた生命を自分たちの決断で断ち切ったという傷は生涯残る可能性もあります。
仕方なかった!最善の判断だった…と思い込むより仕方ないでしょう。
このような試練に逢った夫婦は、何もない夫婦よりはるかに人間的に成長できるのだと思います。
世の中、本当の偶然で、そういった試練に逢うことがありうるわけです。
そんな事を考えていたら、普通の日常に感謝したい気持ちになってきました。
この日常は、当たり前ではなく、運が良い日常で、簡単に崩れるかもしれない幸福なんですよね。
今日も普通の日常に感謝します。
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- ダウン症
今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。
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