現在は零戦を持ち上げ過ぎ。

太平洋戦争当時、ゼロ戦は恐れられていましたが、はたして実際はどうだったのでしょうか?

僕は結構、航空機に興味があって、色々調べていました。
永遠のゼロでも、零戦は大活躍していました。

そもそもゼロ戦って

正式名称を零式艦上戦闘機といいます。
支那事変から太平洋戦争初期にかけて、圧倒的な航続距離と、運動性、当時としては類を見ない20㎜機関銃を2門も装備した重火器のお蔭で他を圧倒していました。
生産機数も10,000機を越え、最大の生産機数を誇った日本の名戦闘機です。

ゼロ戦の優れている点

優れた空力特性と、無駄のないデザインで、美しささえ醸し出す形状です。
しかし、そこには究極までに、軽量化された機体や、空気抵抗を減らすために世界で初めて引き込み脚の採用とか、従来は機体表面の鋲は突起していたが、それをこれも世界で初めて沈頭鋲を開発して、表面の凹凸を無くして空気抵抗を減らした。

更に、開発に時間を掛けて操作性を向上させたので、素直で容易な操作性でベテランパイロットでは、体の一部のごとく操作できる機体ともいわれた。

ゼロ戦の欠点

しかし欠点もあり、軽量化を図るために、パイロットを守る座席後部の防弾鋼板も省略したり、翼内の燃料タンクにも防弾装備はされていませんでした。
つまり安全性が犠牲なった機体でもありました。

これは当時日本に優秀な航空機エンジンが無く1,000馬力程度しかなかったようです。
最終的には1,200馬力程度のエンジンを装着していましたが、このパワー不足が、速度と高高度では圧倒的に不利に働き、低高度の巴戦しか使えない戦闘機になって行きました。

戦争中盤以降アメリカ軍は2,000馬力級エンジンを装備するF6FヘルキャットやF4Uコルセアなどの新型戦闘機を投入する頃には、ゼロ戦は劣勢になってしました。
終戦間際には2,000馬力のエンジンを装着した、紫電改などが出来ましたが、継続して新型機を開発する国力がなかったと思われます。

戦争後期になると、国力の違いははっきりと出るようになりました。

B29との対戦

大型爆撃機B29が低高度を飛行していれば可能です。
しかし、10,000メートル近くを飛行していれば、そこまで行くことも出来なかったはずです。
上空に行けばいくほど空気が薄く、エンジンは通常の2割ほどしか出力が出ません。
おまけに空気が薄く、揚力が落ちるため、失速しやすくなります。
何故B29がそれほど高高度を巡航できたかというと、排気タービンというターボファンの一種が装着してあったらからです。
高高度で強制的にエンジンに空気を押し込んでいたんですね。

戦争末期にはB29が日本の空を殆ど自由に飛んでいた感じになるんでしょうね。

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今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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