阪神淡路大震災から、今日で23年たちました。

ある日の早朝の阪神地方の大地震で6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神淡路大震災から今日で23年です。
今回は地震の話ではなく、危機管理の話です。

当時を思い出すと、自民党は与党でしたが社会党政権で村山富ー総理大臣の時代でした。
政治が不安定だったんですよね。
世の中が不安定だと、大地まで不安定になるのかな?

当時を思い出すと、高速道路を含む道路は至る所で壊れ、主要道路でも大混雑しました。
これは大震災時は当然なのです。

そんな状態では消防も全く機能せず、大火災が発生しました。
建物の下敷きになり、自力では脱出困難な状態で生きながら炎に播かれた方が沢山いたのです。

当時の村山富一総理大臣の後日の話として明らかになった話ですが、最初の知らせはテレビを見て知ったそうです。

しかし、どうしたら全く分からなかったようです。
これほど大きな災害が起きていると言う自覚もなかったようです。
その為に初動が遅れたのが大きな反省点だと言っています。

その後、会派を超えて自民党の小里さんを現地に派遣して、すべての権限を与えて対応に与えたそうです。
更に役人も現地に派遣して、現地に小さな政府があるように現地の組織が機能したそうです。
責任は全て取る覚悟でそれを任せた当時の総理大臣は偉かった点ですね。

しかし、回想録には初動が遅れた事の反省を述べているが・・・・・・
時の総理大臣に情報はテレビだけの情報なの?
驚いてしまいましたが、それだけ危機管理の体制も取れていなかったのでしょう。

そして、問題になるのが自衛隊の派遣問題!!
自衛隊は都道府県の出動要請が無ければ出動できません。
当時の兵庫県知事は自衛隊嫌いでなかなか出動要請をしなかった事が被害を拡大したという意見もあります。

私たちは、災害を教訓に色々改善してきました。
例えば、当時がれきの片づけは、個人資産なので国や県では出来ないことになって復興に大きな遅れを来たしました。

それが例えば糸魚川の大火でも明らかになりますしたが、政府がその気になれば出来るように法律も変わりました。

当時の震災時代、自民党の政調会長として調整していた菅直人氏が、東日本大震災の総理大臣でしたが、この時の経験が役に立って・・・・・
でしょうか?
村山富市総理と対極的な対応を取ってしまったのではないかと思いました。

危機管理って難しいですよね。
頭が真っ白になります。

当館も温泉の自噴が止まった時に、その事態を全く予想していませんでしたので、頭が真っ白になりました。

どうしよう???
あの当時私は万全の対応を取れていたでしょうか?
反省する事も多いのです。
それが国の大災害って事になると、個人の責任の範囲を超えちゃう事態だと思うのです。

これからは、それらに経験を最大限生かし一人でも多くの方が助かる体制を作る事が、災害で亡くなった方の弔いになるのではないでしょうか。

今日は何も悪くない人々が、それぞれに明日の希望や夢があったはずの方が震災で亡くなってしまった日なのです。
そんな6434人の無念を思い、過ごしたいと思います。
合掌

タグ:
危機管理
震災にまなぶ

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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