2016.4.2(土)
松之山の赤ひげ先生逝去
女房が、五十嵐先生が亡くなった事がニュースになっていると、Googleニュースを見ながら話しかけてきた。
そうか、一時代が終わったことを感じました。
五十嵐先生は松之山の医療にとってなくてはならない方でした。
豪雪で、陸の孤島と言われた時代から、一人で松之山の医療を支えてきた方です。
急病で往診の要請があれば、どんな夜中でも、歩いてでも駆けつけてくれた方でした。
例えば母が急にお激しい腹痛に見舞われたとき、適切な処置をしていただき、翌日の医療機関の心配までしてくれました。
弟の病の時は、結局大病院でも最後まで原因は特定できていませんでしたが、五十嵐先生は小脳の脳腫瘍だと見立てて、それに合った医療機関を紹介してくれていました。
大病院の担当が、五十嵐先生よりスキルが低く、病名を探り当てられ無かっただけです。
全てが終わり、母が五十嵐先生に報告に行ったとき「お母さん、お宅のお子さんは、僕の見立てだと、小脳の脳腫瘍だと思う。」「もしそうだとすると、仮に直っても大きな障害が残ったと思うよ。」と母を諭したそうです。
あきらめ切れない、母はその後自分で病気の事を調べてみると、弟の症状とピッタリと符合したそうです。
ですので、医者としてのスキルは高いものがあり、何人もの松之山の方が命を救われてきたのだと思います。
松之山の方は、医者はそれが当然だと思っていたのですが、五十嵐先生が止めて、他の先生がお越しになって、五十嵐先生の偉大さを認識させられる結果になったのでした。
僕が子供のころから、記憶があるのですが。
お子息は僕と同級生でした。
やや女性的な線の細い感じの男の子でしたが、頭は抜群に良くて、松之山では神童クラスでした。
彼も、小学校低学年で、都会の学校に転校していったので、その後はお会いしていませんので、どうなったか?
多分優秀な方ですから、研究者か医者の道を歩んでいるのでしょう。
とても松之山の写真が好きな方でした。
五十嵐先生長い間ご苦労様でした、ご冥福をお祈りします。
今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。
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