航空マニアはこんな記事にも反応する。

震電の試作機

震電の試作機

こんばんは、今日の新潟日報を見ていたら、戦争当時の開発中の「震電」の写真が載っていました。
勿論、戦争中に開発されていた戦闘機で、非常に変わった形をしています。

前翼型と呼ばれエンジンとプロペラが後ろ側に装着されています。
エンテ型とも言われ、変な格好ですが目的がありました。

戦争末期、当時本土にB29爆撃機が飛来する可能性が高まりました。
しかし、当時日本の国内にはB29が飛行する10,000m以上の上空で十分な運動性を持って戦闘出来る飛行機がなかったのです。

それで、いくつかの試作機を作っていた1つが震電です。
何故、新潟日報に載っていたかというと、1945年8月3日に初飛行を行った記録があったからでしょうね。
大出力のエンジンと大きなプロペラを配すと、飛行するだけなら出来るでしょうが、機銃を付けるとなる、プロペラが邪魔で発射出来ません。

そこでプロペラを後部に、そして中央に当時としては破壊力抜群な30㎜機銃を装着したB29キラーが考えられたのでしょう。

しかし、このエンテ型は空気抵抗を減らしたデザインが可能でしたが、操縦が非常に難しく、多分当時の技術では実用化は無理だったと私は予想します。
現在なら、コンピューターが制御して安定した飛行が可能だと思いますが・・・・・・・・

当時の設計上では、速度もゼロ戦より150㌔も早く飛べ、上昇スピードもあっという間に高度10,000mに達する事を目標に開発されていました。

何と言ってもB29だけに対応する戦闘機でしたから。
何でB29が高高度を高速で飛行できたか?
それは排気タービンという装置が装着されていたので、空気が薄くなっても、圧縮空気をエンジン内に送れたからなんですね。
要するにターボエンジンみたいなものです。

日本には、まだこの排気タービンエンジンがなかったので、手も足も出なかったんですね。

たとえ完成したとしても、大きな欠点で実用化はかなり困難だと思うのですが、それでも果敢に挑戦した技術魂は現在の日本の物作りにも受け継がれているようです。

ちなみに当時、ドイツの図面により、あとは推定だけで、大変な苦労の末、アメリカより早く半オリジナルのジェットエンジンを完成させていましたが、これもやはり実用化に間に合いませんでした。

お風呂には全く関係ないお話ですが、新聞に載っていたので色々思い出しました。

タグ:
エンテ型飛行機
震電

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

このブログはBlogランキングに参加しています。

バナーをクリックして応援いただけると嬉しいです!

応援よろしくお願いします(^^)

コメントは受け付けていません。

ページの先頭へ