新潟県中越震災から18年

今日は、あの中越大震災から18年経ちました。

忘れもしない、10月23日夕方の地震でした。

あの時私は何していたか?
仕事も今と違いました。

当時は、今と仕事も違い土日祭日はお休みでした。
確か土曜日でした。
私は暗いうちに出発して、奥志賀に風景写真撮影に行っていました。
前年に下見を兼ねて行ったところ、本当に素晴らしい紅葉が広がっていたので、今年は是非最初から狙いたいと思い、出かけたのでした。

想定したより、期待外れな面もあったのですが、それでも十分な手ごたえを感じ、もう一日朝夜明けから挑戦したいと思いました。
翌日はカヤの平だな~と考えながら、野沢温泉スキー場の一番高い所から自宅に電話していました。

他の山中では、殆ど携帯電話の電波が通じないですよね。
だから、スキー所の最高部まで移動して、自宅に今日は車中泊して、明日午前中に帰ると電話したかったのです。

所が、電波はあるのに、電話が話し中で全然通じないのです。
なんか電話していたら、車が少し揺れた?
何だろうと思い、電話かけていたら、そのうち東京の友人の数人からメールが。
新潟凄い地震があったらしいけど、大丈夫??と言った内容でした。

ネットニュース見ると、状況はよくわからないけどそうらしい。
予定を急遽切り上げ、自宅に戻ることにしました。

途中ラジオのニュースも聞きながら戻りましたが、どうも道路状況も不安定で帰れるかどうか?怪しい。

しかし電話も通じない状況では、行ってみるより仕方ないです。

状況が変わったのは、長野県から新潟県に入ってからでした。
R117で津南町に入ると、大体道路の照明が全く点いていません。

住民の皆さんも、余震を警戒して、外に避難していました。
何本か道路をトライして、ようやく自宅に戻ってみると、女房はいませんでした。

電話も通じません。
もしかして、と携帯メールを送ると返事が返ってきました。
どうやら、自信のお母さんが病院に入院してて、そのお見舞いで十日町市にいて、身動きが取れないとのことでした。

さて、どうしたものか???
自宅に入っても、モノが散乱していて足の踏み場もない状況で、電気は来ていないので真っ暗でした。

電気は来ていませんでしたが、水は出ます。
お湯も、少しは出るようです。

まあ、それでお風呂に入って自宅のベッドで寝ました。
余震もありましたが、最初の地震より大型の地震は来ないと予想してです。

一日色々な事があって疲れたと言うこともありましたね。
そんな事を思いました。

中越地震では、今後100年はこんな規模の地震はもう起きないと聞いていただのです、それから中越沖地震、長野県北部地震とその後大きな自信を経験する事になるとは、この時はまだ想像すらしていません。

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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