靖国神社について考える。⇒それは感謝気持ちの原点だから。

おはようございます、ナステビュウ湯の山の社長の高橋です。
今、日本人としてタブー化している靖国神社参拝について考えてみたいと思います。

私は社長になって感じているのは、色々の事情があるでしょうが、会社を変わって元の会社との関わりを絶ってしまう人は、どこに行っても成功しないと思っています。

関りを継続している人間であれば成功するという事ではないのですが、少なくても長い目で見ると、完全に関係性を絶ってしまった人間は、次の会社でも成功は有り得ないと思っています。

当社にも、何度も転職してきたスタッフもいます。
しかし、前の会社の批判や、内部の情報を言うような人間は私は信用しません。

何故か?
それは色々の経緯で、前の職場をやめる事になってしまったでしょう。
しかし、少なくても在籍期間は給料をもらって生活していたわけです。
俗にお世話になった訳です。

それに対する感謝がない人間は、成功できない気がするのです。
監督署に訴えますよと脅して辞めた人間もいました。
その時の私の答えは全く落ち度が無かったので「ご自由にどうぞ!」と答えましたが、心配だったのはその本人でした。

私の心配は現在、当たっています。
どこに行っても務まらず、現在はふらふらしているようです。

何でこんな関係ない違う話をするの?
とお思いかもしれませんが、実は靖国神社の話と一緒だと思うのです。

過去に不幸戦争がありました。
しかし、直近の世界第二次大戦では軍人軍属では230万人も戦死されました。
当時の若者は、その時代に生まれただけで、徴兵され戦争に駆り出され戦死してしまったわけです。

戦地から逃げ出す人などほとんどいなかったと聞いています。
映画などから、硫黄島の激戦では生きて帰れるなど思っていなかったようです。
自分たちが命を懸けて守ることに、一日でも長く持ち応える事により、本土の攻撃が一日でも遅れてるのだと、過酷の環境で命を捨てたのです。

沖縄でも似たような激戦がありました。
戦争は不幸な出来事でした。
しかし、死ぬのを覚悟で圧倒的に不利な激戦を戦った人たちは、未来の日本の為に、自分たちの両親や兄弟の為に命をささげたのではないでしょうか?

そんな英霊に感謝の念を感じない日本人は、前段に書いた感謝出来ない人と同じだと思うのです。

なぜ今そんな事を書いているかと言うと、現在自民党の総裁選挙が行われています。
その候補の内で、総理大臣になっても靖国参拝は辞めないと言っている候補者がいたので、改めてそんな事を思いました。

いろいろ意見もあるでしょうが、政治的に要職にある方が靖国参拝すると反発する国があります。
具体的に中国と韓国、北朝鮮がその代表国ですが、現在は総理大臣は靖国参拝は控える風習になりつつありますが、その事により両国の関係は円滑に進み発展しているでしょうか?

現状を見れば火を見るより明らかです。
英霊に感謝する気持ちは、政治問題すること自体がおかしいのだと思いますよね。
一時的には関係性がおかしくなっても仕方ないと割り切りも必要かもしれません。
それを譲歩しても、違った問題で因縁に近い話をしてくるに違いないからです。

私も生きているうちには一度でもいいから8月15日に靖国神社参拝をし、名前も顔も知らない御霊ですが、命を捧げた英霊に感謝を伝えたいと思っています。

今日も感謝の気持ちを忘れず、頑張ります。

今回も最後まで読んでいただいて、有難うございました。

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